
◆友人の再婚で複雑な気持ちに…不倫はしてないんだよね?◆
まだ学生時代に友人に彼を紹介してもらったことがあった。
特に嫌な感じでも無かったので、つきあうことになったのだが、その後程なくして
紹介してくれた友人の方が別れてしまった。
若い頃の恋愛というのは安定しないものだ…。
(若者がみんなとは限らないが、少なくとも私の周りでは、そこまで長く続く子はいなかった。)
その後、私の彼と、女の友人の元彼となってしまった男のことはたまに遊ぶことがあったが、程なくして、新しい彼女が出来たようで、趣味が一緒のスノボへ出かけることになった。
若いものだから、車中泊をものともしなかったが、今から考えると、寝心地の悪い車で十分な睡眠も取れないで、体力を消耗する、スノーボードをするだなんて、今ではとうてい考えられない。
睡眠不足がどれだけ体に堪えることであるか、今の私は身にししみて感じている。
若かったな…。夜に出かけて車中泊することを親が、心配したのも今では頷ける。
朝起きて、初めて会うその女の子と車から移動して、洗面でお化粧タイム。私の友人とはタイプが違って、ものすごくしっかりと化粧をして、整える感じの子だった。美容関係の仕事をしていたみたいで、ものすごく化粧をばっちりしていたことを覚えている。私はその初対面の女の子が化粧をしているのをちらちらと見ながら、友人の元彼だった人はこの子のどこが気に入ったんだろうと考えながら、化粧をした。気持ちはものすごく複雑。彼氏同士は高校からの友達でいいだろうが、私と彼女は初対面である。何を話したらいいものか…。さらには、その人の彼と私の友人は少し前までつきあっていたという事実を知っているから余計に複雑だった。友人に、元彼の新しい彼女とボードに行ったことなんて話せるわけもなく、最近どうしてるだろうと、いつまでも元彼の事が忘れられない友人が私に尋ねてくるのが切なかった…。
そんな彼女も次の出会いを求め、新しい彼が出来て、わりと早くに結婚した。
何人かとつきあってから、結婚を決める子もいるし、付き合い始めの人が運命の人と感じ、
高校生時代から付き合っていて、社会人になっても続いて結婚した子もいる。
しかも、知っているだけで2組もいる!そのうち一組は中学時代からの知り合いで、同じ高校でつきあうことになったようだった。別れたり、また戻ったり…。しかし、結局その子と結婚したことを知った時には驚いた。縁があったんだねって、友人と話をした事を覚えています。
もう一組は高校時代から付き合い始めて別れることも無くそのまま結婚したという子がいて、それも私の中では衝撃だった。私の知っている限りでは中学校時代にある男の子とつきあってはいたものの、その後、他に付き合いは無く、その高校で知り合った人と結婚を決めたという事実…。中学校の付き合いというのはきっと、一緒に帰ったりするだけの関係だったはず…。(それ関係のガールズトークをした覚えがない…。秘密にしていたのか?)だとしたら、高校で知り合ったその人と結婚を決めたということは…。他の人と付き合ったら、どんな人生が待っていたのだろうなんて事を彼女は考えなかったのだろうか…。確かに、考えすぎて、結婚が遅くなってしまうことを考えたら、いい選択の一つとも言えるのではないかと思うのだが、ひょっとしたら、結婚何年かした後で、自分は人生でこの人しか知らない…という気持ちになったりしないのだろうか…。それが浮気の発端となって、離婚…なんてことにならないのだろうか。
余計な心配を少ししてしまった私だが友人はそういった浮ついた心の持ち主ではないことも良く知っているので、きっと大丈夫だろうと信じている。
しかしだ!私に彼を紹介してくれた友人からの年賀状の名前が独身時代の名前に変わっているではないか…。しばらく連絡を取っていなかったので、彼女に何が起きたのかが全く見当がつかなかった。これは一大事だと感じて連絡を取ろうとしたが、彼女が何かあった時に私に連絡しなくて、年賀状で知らせるというような、形だけの付き合いになってしまっていたことを反省した。普段から、何気ない話をしていられる仲だったら、旦那さんとの間に何かあって、離婚することになったとかそういった話を聞いていただろうに…。
それなのに、年賀状で名字が戻っていたからと言って連絡をしていいものか悩んだ…。
しかし、気がかりだ。もしかしたら、そっとしておいて欲しい心境なのかも知れない。
もし、私だったらどうだろう。すぐに連絡欲しいだろうか。そっとしておいてほしいだろうか。名字がもどった時期も書かれていないので、本当に最近にそういうことになったのかもしれないと思ったりもした。もしかしたら、去年の年の初めにもう名字が戻っていたのかもしれない。彼女から何かしらのアクションがあるのを待とうと思った。
そんな風に思っているうちに半年が過ぎ、その友人から、本当に久しぶりに連絡があった。
どんなテンションで話していいのか分からなかったが、ひとまず、相手が明るい声だったので、普通に話すことが出来た。
その友人によると、どうも再婚するようで…。(早くない?去年の年賀状で、名字が戻って、翌年に再婚を決めた?)勿論、心の中の声だ。
話によると、結婚して13年経っていたらしいのだが、家を建て彼女が働きだした辺りから、なんだか二人の仲がしっくりきていなかったらしい。
旦那さんとの仲がぎくしゃくしていたのだそうで、そこのことを相談した知り合いと、どうやら再婚することになったそうだ。何故にそんな別れて間もまもなく、再婚なのだ…。もう少し時間を置いた方がいいのではないのか?要らぬ心配症な気持ちが湧いてきたが、彼女が出した答えだから、とやかく言うのはやめようと思った。急がなくてはならない理由があったということがわかった。お腹に赤ちゃんがいるそうで…。
旦那さんと別れる時期とかぶって無いよね…?また、そんな心配しても仕方ないのに心配は湧いてきた。最近、別れる前に、子供が出来て、法律的に前の夫の子としか認められないとかんなんとかっていう事がニュースなどで聞いたことがあったものだから、彼女もそんな風なのではないのかと思ってしまったのだ。
なんだか、激動の一年二年だったんだな…と、感じずにはいられなかった。
再婚なので、結婚式はしないそうだが、籍は入れるということだ。
それで、初めの結婚式に声をかけてくれた私にはきちんと話しておくべきだと思って、連絡したということだった。
そうか、知らぬ間にいろんな事があったんだね…。きっと、つらかったよね。いっぱい悩んだよね…。そんな思いが出てきて、会って話さなくては気が済まない自分がいた。
久しぶりの再会に、喜んだのもつかの間、その激動の話を聞かせてもらい、彼女はすっかり前を向いているようだったので、安心したが、お相手がどんな感じの人か分からないので、少し心配になった。余計なお世話だが、前の人のようなタイプだとなんだかまずい気がするな…って気がしたのだ。
彼に会うのはまた先の話になりそうだが、赤チちゃんが生まれたらお祝いに行こうと思うので、その時に会えるかなと思う。
悩んだ彼女を支えた彼だから、きっといい人に違いない!そう信じることにした。人生、いろいろだ。演歌歌手の歌を思い出した。自分の親が演歌を口ずさんでいたのを、思い出す。演歌のどういうところがいいものか…。まだ何も知らない子供の私には分からなかった。しかし、人生を少し長く生きてきた私に少し分かるような部分も出てきた。
若い頃は、演歌にあるような不倫だなんだって、どうしてそんなことになるのか?純粋な子供だった私は、大人に怒りさえ感じていたものだが、そういうことになっても分からなくはない…というような思考回路に変わってきている自分がいる。正論ではすまされない部分も世の中にはあるということが分かってきた。
ただ真っすぐ生きていた子供の頃では考えられないことである。
子供の頃は本当に真っすぐで、頑張れば報われるそう信じて頑張っていた。でも、現実を知るにつれ、矛盾を感じて、人間何でも出来るわけではないとあきらめたりもする。そんな風に人生自分の思い通りになうことばかりではないことを知るのも大人になったということなのかもしれない。人生諦めたらそこまでだと言う人もいるが、信じて頑張ってきたほど、自分の無力を感じ敗北感にさいなまれ、行き場のない感情が渦巻くのだろう。
それが、仕事であっても、恋愛であっても…、生活全般においても。
大人には自分を信じて頑張れって言われるのに、そういう大人はどうなの?
そういうことを感じるかもしれない。嘘をつくなと教えられたのに、大人は嘘ばかりじゃないか!そんな風に感じることもあるかも知れない。
他人の物を欲しがるなそう言われて育ったのに、結婚している人と付き合うなんて、おかしいじゃないか。確かにおかしいのだ。でも、現実に結構な数不倫や浮気は存在するのだ。しかも、自分が思っているよりも多く!そういった社会に対する反発はロックにもあるように感じるが、世間に対する反発を叫ぶのではなく、心の中に秘めた、そういった人生の苦労を、上手くいかない恋愛をうたっているのが演歌だったりする。
若者が聞く音楽には、未来を歌うものが圧倒的に多い。それはそうだ。若者は未来に向かって進んでいるのだから。
その点、人生長く頑張ってきて、いろいろ分かってくると、未来に向けてよりも今あるその苦労を歌に盛り込むようになる。
苦労をしたことない若者が聞いてもしっくりこないのはそのためだと思うのだ。
今、私が若い子の歌う曲を聞くと、恋愛の曲が多くて、青春だなって感じる。
自分がそんな風に感じるような年になっていることに驚きながらも、やっぱり詞の内容を見ても、そんな時期もあるよね…っていう感じて、今の自分に照らし合わせて聞くと言う感じでは無くなってしまっているのだ。自分も若かったら、恋愛に胸をときめかせている時代に聞いたらきっと、共感出来て大好きな曲になっていただろうって感じる程度だ。
今流行っているその曲に、自分を照らし合わせることはない。これからの子供達が今の自分に照らし合わせて最近の曲を聞いて、友人とこの曲いいよねといいながら、曲を聞いているのが目に浮かぶようだ。初めての恋愛に戸惑いながら、時に時に泣いて時に笑って…。いろんな思いを感じながら、沢山の経験をしていって欲しいと思う。恋愛に限らず、社会においても家族以外の沢山の人と関わって広い世界を自分で歩いていってほしい。沢山の人から、沢山の価値観を学んで、自分の中で自分が大切にしたいものを見つけていってほしい。ああいう人もいる、こう言う人もいる、そういった中で私はどんな大人になりたいのか。見つけて欲しい。
親の価値観だけではどうしても偏ってしまうこともある、母親と父親とでも2つ違う価値観で子供と接するのだが、それでも夫婦で似てしまうところがあって、本当なら、もっと違う考え方もあるかも知れないのに、自分達だけの考えで、判断してしまっていないだろうか…ということを思うのです。数学のように答えが一つということもあるだろうけど、世の中の考え方は善悪2つに一つではなく、こういう考え方もあるし、こういう考え方もあるということを知ってほしいのだ。そして、沢山の様々な考え方があっていいということも知ってほしい。沢山の考え方がある中で、自分はこう考え方だと、しっかり主張できるようになってほしいと思う。人に合わせる協調性も大事だけれど、自分はこう思う!といった自己主張も大切だ。
自分がどういう考えであるかを人に伝えるということで、お互いがお互いを知るきっかけになるのだ。
言わなければ伝わらない。その為のコミュニケーションだ。
価値観は、人が年をとっていくにつれて変わっていってしまうものかもしれない。だから、結婚した時には、価値観のズレに気付かないで過ごしていたのに、自分の価値観も変わってきて、離婚に至る頃には二人のコミュニケーションでは埋めることが出来ない位の価値観のズレとなり、芸能界に見る離婚会見にある『価値観の違い』ということになるのではないか。初めは、価値観も何も、愛情が勝っていてそんなズレも感じないのかも知れない。
でも、自分の価値観が変わってくるのはごく自然な事のように感じる。結婚して自分達の力で生活して行くことで感じることも沢山あって、子供の事で他人の子供の事で感じていた事と、実際自分の子供を育ててみて感じる事は違っている。経験によって変わっていくことは当然の事なのかもしれない。価値観の違いさえも楽しめる!そういう仲になっていたら、離婚しないで済んだのかな…。って、思ったりもするけれど、どちらかに離婚という考えが浮かんでしまったら、きっとそれを失くす事はものすごい労力で、不可能に限りなく近いと思う。だから、そうならないように日頃からのコミュニケションや、感謝の気持ちを言葉にすることを忘れないようにしたい。感謝されて嫌な思いをする人はいないだろう。
離婚してはいけないということではない。離婚するのは、より良い二人の関係を築くためでもあったり、前向きにその人の人生を歩んでいく為に必要なことであるかもしれないのだ。それは人それぞれ。その人と、よりよい人生を歩みたいと双方が考えるのなら、修復に向けての作業が必要であろうし、自分とは別れて、他のより良い相手をと、双方が考えるのなら、離婚ということになるのだろう。どれが正解なのか…。それこそ、当事者たちが感じることであって、周りの人間が、離婚したから悪い、無理に一緒にいたなんて大変だっただろう…。そんな風に思うことではないのだ。本人たちが、幸せだったかどうか。ただそれだけの話なのだ。
だから、古くから知っている友人の事だから複雑な思いもあるが、私は離婚を決めた友人の決断をして前に進んだ友人の勇気を称えたいと言ったらおかしいかもしれないが、認めてあげたいと思っている。
不倫とか、そういう事じゃなかったんだよね?